メッセージ

株式会社 冨山 代表取締役 冨山道郎

当社は昭和25年8月の戦時統制の解除により、肥料の自由販売を再開し、昭和29年11月に株式会社に組織替えし、今日に至っております。平成26年10月に創立60周年記念を迎える事ができました。大きな節目を迎えることが出来ました事はお取引先様並びにお得様各位の絶大なるご支援、並々ならぬお引き立てとご愛顧の賜物であり、衷心より厚く御礼申し上げる次第です。それと共に当社を今日迄支えて頂いた諸先輩、役職員各位のご努力に深く感謝を表すものであります。

60年の歳月を顧みますと高度成長、オイルショック、ドルショック、バブル経済の崩壊、リーマンショック、20年にわたるデフレ経済、そして中国政府による肥料輸出関税の付加と大きく変遷してまいりました。又我が農業界も農家の高齢化、耕作放棄地の増加、後継者難、TPPなど様々な問題を抱えております。時代が大きく変わる中、平成4年に社長に就任すると同時に住友化学さんから倒伏軽減材入り穂肥スミショートが発売されると新しい米つくり、新しい店作り、新しい人つくりをスローガンに掲げ、スミショートの普及拡販に邁進いたしました。その後平成8年には農家の店とんとん佐渡店を、平成10年には神林店、12年には五泉店を開店しました。そして平成13年には中国より肥料の輸入を開始し、輸入肥料が順調に推移する中、平成16年には重慶石川泰安化工公司への出資、平成19年には本社物流機能の一元化を計り、東港への移転、そして卸団地の跡地には農産物の直売所「ピカリ産直市場お冨さん」の開店、平成20年にはピア万代にて「ピカリ産直市場tommy’s」を開店し、今日至っております。

この間、幾多の困難もありましたが関係各位からの暖かいご支援とご協力そして骨身惜しまぬ役職員の努力により、事業の拡大、発展を成し遂げ得ましたことに改めて衷心より感謝を表すものであります。

60周年を期に若い世代が中心になり2020年に向けた冨山のあるべき姿として3つのキーワードトータルソリューションカンパニー、スマートカンパニー、グローカルカンパニーを目指し、垂直統合型プラットフォームの確立とマルチチャネルのビジネスモデルの確立に向けて努力している所です。これからは21世紀にふさわしい企業風土を醸成し、次の100年に向け第2の創業を果たす覚悟をもって事業に邁進する所存でございます。

関係各位におかれましては、何卒今後とも倍旧のご支援とご鞭撻を賜わりますよう宜しくお願い申し上げますと同時にこの60年間に亘るご厚情に感謝申し上げます。

目指すは農業のトータルソリューションカンパニー
垂直統合プラットフォームとマルチチャンネル化で食と農の架け橋になる。

記念誌 冨山の50周年、60周年の記念誌をご覧いただけます。
60周年記念誌

3代目冨山道郎 代表取締役社長

  • 昭和25(1950)年生まれ。
  • 昭和48(1973)年、獨協大学経済学部卒業後、4月住商農産株式会社に入社。
  • 昭和49(1974)年6月、住友商事マニラ支店出向。
  • 昭和54(1979)年7月、株式会社冨山四平商店(現冨山)入社。
  • 平成4(1992)年11月、代表取締役社長に就任、現在に至る。
冨山道郎 座右の銘 そして、その心 吉 幾三「門出」
初代冨山四平 冨山四平商店創業者

初代冨山四平 冨山四平商店創業者

明治21(1888)年1月17日生まれ。
新潟市並木町に冨山四平商店を開く。
大豆粕、ニシン粕、魚粕、過燐酸石灰を扱う。
昭和46(1971)年6月4日没。

ルーツは越中富山の廻船問屋「越中屋四兵衛」

ルーツは越中富山の廻船問屋「越中屋四兵衛」

創業者の四平氏は新潟市竹尾の生まれ。
実は、初代は寄附町にあった冨山家の入り婿である。
冨山家のルーツは、越中富山の廻船問屋「越中屋四兵衛」。
並木町に移り、肥料の卸業を始めた四平氏の時代は車など無いに等しく、リヤカーで、遠くは岩室付近まで運んだという当時の苦労話が、
社員にも伝聞されている。

2代目冨山隆弘 代表取締役会長

2代目冨山隆弘 代表取締役会長

大正9(1920)年、新潟市並木町に生まれる。
新潟市の現商業高校卒業後上京、高砂ゴムに入社、勤務しながら中央大学夜学専門学部に通う。
終戦後帰郷し、営業を再開。
昭和29(1954)年、株式会社として設立。
平成4(1992)年、社名変更と同時に長男の道郎氏に社長の座を譲り、会長となる。
出勤から退社まで社員同様に会社で過ごす、バリバリ常勤の会長でした。
平成21(2009)年9月没

自ら苦学の道へ

新潟市内にある商業学校を卒業した現会長の隆弘氏は、当時、東京に住む姉の家から入社先の高砂ゴムに通う毎日であった。
入社と同時に、学問を身に着けたいと自ら夜学を志望。会社勤めの傍ら夜学に通うという、苦学力行の士であった。

上大川前6番町に会社設立

昭和25(1950)年に肥料の統制解除が始まり、自由販売が可能になったことがきっかけに、帰郷していた隆弘氏が、初代が興した卸業を再開、2代目の社長を就任する。
その4年後の昭和29(1954)年、新潟市上大川前通り6番町で個人商店から法人化して会社を設立。
当時は車の少ない中、2台も!

それも車庫付きで保持、活発な営業展開を図っていたという。

本社は卸団地の主(ぬし)

本社は卸団地の主(ぬし)

17年間構えていた本社を、上大川前通りから新潟市卸新町に移転したのは昭和46(1971)年のこと。
当時はまだ、卸新町の団地内に存在する会社も疎らな状態。

現在はほとんど会社が林立しているが、冨山の本社は、35年間の時の流れを見てきた団地の主であり、古株中の古株。卸団地のことならお任せあれ!

お客様と会社を結ぶ冨睦会

冨睦会

設立は平成元(1988)年。
取引先との親睦を図るために設立されたもので、設立時に記念総会や海外旅行(シンガポール、バンコク、香港、ソウル)が実施された。

現在、小売店36店、メーカー約20社で構成されており、お客様との親睦旅行が毎年行われている。